「子育て四訓」を日々実感中!

掲載日:2015年12月21日

739a6ed80aae8f17d279e71f1d63e0a8_s子育て四訓
一、乳児はしっかり肌を離すな

一、幼児は肌を離せ手を離すな
一、少年は手を離せ目を離すな
一、青年は目を離せ心を離すな

(平成一三年元旦号 日本時事評論 )

子育て四訓を知っていますか?
私は以前乳児を育てていた時に、SNSのシェアでまわってきて知りました。
が、その時は「インディアンの子育て」としてシェアされました。
実際には日本の教育者・山口県に住むA氏の言葉で日本時事評論に掲載された
言葉であることを知りました。

私は子育ての〇〇するべし!というようなお言葉が苦手で
「わかっているけど、できないよ」と逆に悩まされることも多く
あまり気に留めないようにしています。
(徐々に気にしないようになっていきました。)

でもこの言葉は
「年齢によっての育児の違い」に戸惑うとき
ふと思い浮かぶことの多い、
私にとっては「生活に密接した言葉」でした。

乳児期「乳児はしっかり肌を離すな」

この言葉はある人にとってはとても苦痛で、
ある人にとっては救いの言葉である気がします。
当時私は「私は娘に構いすぎているのではないか」
「抱っこ・おんぶしすぎているのではないか」
「だから良く泣く、わがままな子になったのではないか」と本気で悩んでいたので
このままでも良いんだと思うことができました。

またこのような眠れないお風呂にも入れないような日々がずっと続くのかと
気重になっていたので
「そうかいつか終わるんだ」と思えた言葉でもあります。

乳児から保育園に預けているママにとっては
傷つく人もいるかもしれませんが
私はこう解釈します。
この言葉は平成元年のもの。
必ずしも主語は「母親」とは限らないと。
主語は母親・父親・祖父母・保育者・・・・
現代の社会では
そんな風に変わっていくのではないでしょうか。

幼児期「幼児は肌を離せ、目を離すな」

息子は現在幼児期の真っただ中だと感じます。
息子の中の世界がどんどん広がっていって
個性も出てきて成長の速度に追いつくのが大変です。

「手取り足取り」という方法よりは
「失敗しても良いから、まずはやってみて」と言う方が多くなりました。
本人もあらゆることを「やりたい」と言います。
できないことも多く、口答えもします。
でも側にいて「自分でやったり、考える楽しさ」を一緒に楽しめたらいいなと
思っています。
が、
自分の余裕がないときは乳児期には感じなかった
激しい怒りを感じてしまいます。

ただがむしゃらだった乳児期と異なり、
私の精神状態が対応に大きく影響してしまいます。
肌が離れた分、自分の時間や自分の心のケアも大切だと感じています。

少年期「少年は手を離せ、目を離すな」

もうすぐ6歳の娘は少年期の入り口にいると感じます。
5歳の時に「一人でおつかい」デビューをしたときは
私の方が不安で不安で、なかなか決心がつきませんでした。
たった5分の道のりですが「万が一何かあったら」と思ってしまいます。
でも本人の行きたいという気持ちを尊重して
思い切って行かせる事にしました。
帰ってきた娘の表情は自信にあふれ、とても良い顔をしていて
親子共にひとつ階段をのぼったイベントでした。

入園時は幼稚園で起こったことを全て話していたのに
意識的に話すことと話さないことが出てきて
時には嘘をつくようになりました。
不安や怒りを隠していて、それが行動や体調にしか現れないことも
頻繁に起こります。

戸惑うこともありますが、成長の過程として
心の変化を会話だけでなく行動の変化でも感じられるように
「監視する」という意味ではなく些細な変化を目で見て感じるために
目が離せない時期です。

青年期 「青年は目を離せ、心を離すな」

ここはまだ未知の領域ですが
自分の過去を振り返ってみると
「信用されている」という感覚がとてうれしかったように思います。

「自分で決めなさい」「自分で考えなさい」とよく言われ
悩んでいるのに冷たいなと思うこともありましたが
結果その時の訓練が社会人になってからも家庭を持ってからも
活きていると思っています。

今振り返ればそうやって「子どもに決めさせる」ことがどんなに大変か
自分が親になってはじめてわかったことです。


 

年齢が変われば悩みもかわっていて、
子どもに対する悩みは尽きることはありません。
でも「手を加えるだけが育児ではない」というのは難しい反面、救いでもあります。
手がかかる時期はいつか終わり、親には自分の時間ができてくるのです。
その代り、心をどうやって添わせるのか
その人なりの育て方の本質がでてくる気がします。
私も毎日試行錯誤をして失敗もしています。

今、あなたのお子さんは今どんな時期ですか?