「まだお婆ちゃんじゃない!」敬老の日に不機嫌に

今日は敬老の日。
「老人を敬愛し長寿を祝う日」として祝日に制定されています。

ただこの祝日にはちょっと面倒な側面も。
「老人」が祝われる日で「祖父母の日」ではない事から
「老人」に分類されたことを嫌に思う人たちも多いのです。

実際に
「敬老という年齢じゃない」と言われたことのある人は
少なくないようです。

実際に日本では60才で還暦、
前期高齢者が「65歳から74歳」、後期高齢者が「75歳以上」という事になります。
でも実際60才と言えばまだ現役で働いている人も多いので
「老人」という言葉に抵抗がある人は少なくないでしょう。

私も子どもの頃祖父母に敬老のプレゼントを渡したら
「まだお婆ちゃんじゃない!」と不機嫌になってしまって
(当時は60才位だったと記憶します)
子どもながらにとてもショックでどうしたら良いか困惑してしまいました。

孫のプレゼントは嫌がる人はいないという意見もありますが
我が家では例外だったようです。

そのことがあってから、自分が親になっても
敬老の日はやや気が重い祝日です。
ただ何も祝わずお礼を伝えないのも気になります。

私はこのように伝えるようにしています。
「まだまだおじいちゃんおばあちゃんという年齢じゃないけど
 日ごろの感謝の気持ちです」と。

これからは人生100年とも言われていますから
半分の50代で老人とするのは確かにちょっと早い気もしますね。

皆さんのご家庭ではどうお祝いしていますか?

「いつもそうやって諦めるから何もできないんだ」

先日子供たちと公園に遊びに行った時の事です。
娘と同じくらいの年の女の子が一人で泣いていたので
ずっと気になっていました。

最初はポロポロと、どんどんと大きな声を上げて
ワンワンと泣き始めました。

声をかけようかな、と思った時に
お母さんが来て
「なんですぐに諦めるの?!」
「いつもそうやって諦めるから何もできないんだ!」
「もうお母さんは帰る!」

お母さんも激怒していました。

どうやら逆上がりの練習に親子で来ていたけど
うまくできないので、女の子が悔しくて泣き始めてしまい
お母さんが怒っているという状況の様でした。

娘がアワアワしながらその様子を凝視するので
私たち親子は場所を変える事にしました。

もしかしたら逆上がりの練習につきあうためにお母さんは
仕事をお休みしているのかもしれないし、
こう言ったことが何回も続いたのかもしれないし
理由はわかりませんが
私だったらどんな声掛けをするかなあ・・・と考えながら歩いていました。

娘も悔しいと泣くタイプの子なので
縄跳び・マラソン・けん玉・将棋・・・ありとあらゆるものの
練習中にうまくいかなくて泣いたことがあります。
今だって宿題がうまく進まないと悔しくて泣き始めたりします。

娘の場合は一度泣いてからグッと集中力が増すタイプなのを
わかっているので、泣き始めたら私は
お茶やちょっとしたお菓子を用意したりしてすこし休憩したり
私がやってみたりしてみます。
私があれやこれややっている姿を休みながらじーっと見てると
またやりたくなるようです。

「途中までいっしょにやってみよう」
私が補助して少しでも前進があったら
「できてるね」

面倒だけどこういう事の繰り返しで練習してきました。

私は不器用だし、運動神経も悪いので
「ママより得意じゃん!」と言うと笑って元気になることもあります。
子供のやる気スイッチを押すのって難しいですよね。

元の場所に戻るとその親子は帰ってしまっていました。
娘は
「私もできないから一緒にやろうって言いたかった気もする」
「だからずーっと見てたのか」
「でも知り合いじゃないし、変かな」と言っていました。

「今度またその子に会ったら行ってみたら?」
「でも 厳しいお母さんの元でたくさん練習して
今度会った時はめちゃくちゃうまくなってるかもよ!」
と話しながら帰りました。

「どこかに連れて行かないと可哀想」と思っていた私に娘から一言

今年の夏休みもほとんど遠出はできませんが、
親子で楽しい時間をたくさん過ごせたらいいなと思っています。

15744みなさんは夏休みいかがおすごしですか?
みんなでどこかに出かける家族も多い一方で
日常となんの変わりもない、「家族が全員揃わない」
「どこにも行く予定がないor行けない」
家庭も同じくらいあるのではないでしょうか?

我が家もずっと後者でした。
お盆はもちろん、こういった連休に夫が休める仕事ではなかった事と
私が車の運転ができないこと、
親族も近くなかったので
小さな子どもたちを連れてどこか遠出をするのは
本当に大変な一大「作業」でした。
楽しみではなくて、大変・・・これが本音です。

でも私の頭にあったのは
「どこかに連れて行ってあげなきゃ、うちの子が可哀想」
「他の家庭は色々な場所に行き、
いろいろな経験をしているのに家はそれができないなんて可哀想」
この出自不明の気持ちでした。

特に連休中などはどこも混み合っていて
ふたりの小さな手を引きながら、歩いたり
動物園や水族館では混んでいて前が見えず
交互に肩車をさせて見せてあげたり・・・・・
前日から用意、早朝お弁当の準備で
実際の行楽タイムではヘトヘト・・・・
「でも、子どもが喜んでくれるなら!私は大丈夫」と言い聞かせていました。

電車や自転車でたくさんのところに連れて行ったと思います。

でも
朝からバタバタして、出先でも子どもたちが言う事を聞かず
しまいには目的地に着いたら眠いと言い出す・・・
「もう!この子たちのために来てるのに!」
そんな風にイライラしてしまうこともありました。

そんな時に娘が
「どこにも行かなくてもいいよ。みんなが楽しいのが良い」
と言いました。
衝撃的でした。

私はいつもいつも「私は楽しくなくても、子どもが楽しいならいい」
思っていました。
だから楽しそうな施設、イベントには一生懸命連れて行きました。
でもそれで「お母さんたいへんそうだな」「お母さんつまらなそうだな」
と幼い娘に気を遣わせていたのです。イライラ怒っては本末転倒です。
情けないと同時に、娘に感謝しました。

家族ででかけるうえで大切な事だなと思い出したのです。

そんな言葉を貰ってから・・・
我が家の休日はたまーーーーに遠出するだけで
基本的は近所の公園で遊んだり
家で少し大がかりな工作をするくらいです。
そのかわり
「この休み中になにする?」とみんなで目標を立てています。

・水泳で5m泳げるように!とか
・折り紙が上手に折れるようにとか
・美味しいパフェを食べにいくか、作る!とか
・ママが2キロ痩せる!とか
・動物の写生をしてみたい、とか
・恐竜の名前を憶えたいとか

そのためにどこか行こうか、今日は家にいようか
と考えるようになりました。
恐竜の名前を覚える方法は博物館にいくだけじゃなくて
図書館で本を探しても
DVDを借りに行ってもできることです。
子どもや自分のコンディションで「どうやるか」決める。
この方が私たちにはちょうど良いみたいです。

 

子供からのプレゼントや手紙にその一言必要ありますか?

母の日、父の日に子供たちから何か贈り物をもらった
方も多いのではないでしょうか?

先日我が家では父の日にちょっとした事が起こりました。
園で書いたプレゼントと手紙、
ワクワクしながら日曜日の朝夫に渡しに行きました。

「これどうぞ!いつもありがとう!」
きちんと言いながら夫に手渡すと
「ありがとう」「上手に作ったね」とニコニコ受け取った夫。
しばらく手紙を読んでから、
「いつももっと字がうまくかけているのに・・・この文字間違ってるよ」
と文字の間違いを指摘しました。

息子は
「あのね、ペンが太かったから持ちにくくて・・・」と言って
渡した手紙を取ってゴミ箱にクシャクシャにして捨ててしまいました。

慌てて夫がゴミ箱から拾いフォローしましたが、
息子は別の部屋にこもってしまいました。

文字を覚えてから楽しく覚えていきましたが、
今でも鏡文字になってしまったり、点が多かったり
そんな間違いはあります。

夫は悪気はなく、
「間違っているから教えなきゃ」と思ったのでしょう。

でも息子の気持ちが痛いほどわかる私。
だって、私の父親も私が何かプレゼントしたり手紙を書くと
かならずありがとうと同時に「指導」してくる人だっだんです。

ここの字が違うとか
もっと丁寧にとか
この絵はあまり似ていない(冗談っぽく「パパはもっとカッコいい」とか)

など、照れ隠しもあるのですが
その度に深く傷ついていました。
もう二度とプレゼントなんてしたくない、と思ってきました。
(ちなみにいまだに父にプレゼントするのが苦手です)

一生懸命作っているので、熱中しすぎて間違えてしまう事は
良くあることだと思います。
全体を見たら、なんかいつもより下手だったことだって。

父も私のために教えなきゃと思って言っている事もわかっていますが
「今欲しいのはそんな言葉じゃないのに」と内心思っていました。


少ししたら部屋から息子がでてきて
折り紙に、間違っていない、綺麗な文字でさっきの手紙の内容を
書き直して夫に渡しました。

でも目には涙が浮かんでいて
「これだったらいい?」と。

丁寧に、間違えないようにたぶんそれだけを思って書いたお手紙。
園で一生懸命お父さんを思って書いた気持ちはクシャクシャになってしまいました。

夫もかなり反省していました…


私も日ごろよく子どもたちがお手紙をくれますが、
文字が間違っていることがよくあります。

そんなときは忘れないように
「うれしいから飾っておくね」とまず冷蔵庫に貼っておいたりしておいて
少なくとも半日はあけてから
「〇って文字ちょっと書いてごらん」
貰った手紙に言及しないで確認します。

すると自分で
「あ!あげた手紙まちがっちゃってたね~」なんて気が付く時があるのですが
そうすれば文字の間違いは確認できます。

少なくとももらったその時にいきなり言わないようにしています。

もしかしたらその場でも上手に教えてあげられるパパママもいるかもしれません。
どうやって傷つけずに指摘しているかぜひコメントくださいね♪

完璧なお母さんじゃなくて良かった

子育ても8年目の私ですが
産む前、産んでから、1人目の育児、2人目の育児と
どんどん価値観や考え方が変わってきています。
このジョインハンズのコラムを通して書いたり、思っている事も
読み返すと「今はこうは思わないな」と思う事もしばしばあります。

ここ最近は
〇〇すべきという価値観がどんどんと無くなっていき
育児に対する自由度が増しています。

まずは何よりも宿題を優先してやるべきと思っていたけど
今は明日までに自分で計画して終えてればいいやと思っていますし
幼稚園の時は「何とかして子どもを休ませない」と思っていましたが
小学校にあがると「休みたいときは休んでも良いよ」と思っています。

親は子供の見本でいなきゃいけないのですが
私も全く完璧じゃないので見本にはなりきれないという諦めみたいなものが
あります。

最近は周囲の大人の複合体を見本にできれば良いと思っていて
夫にも「育児に対してこうしてほしい」という不満が減ってきました。

ここ最近は娘から
「ママが完璧じゃなくて良かった」
と驚きの発言がありました。
うすうす気が付いていましたが、子供にとってもたまに
「困ったお母さん」な時があるようです。

日ごろ色々失敗しているのを見ているし、頼りないと思う事も
きっとあったのでしょう。
で、「良かった」の理由なのですが

「完璧じゃなくても楽しいお母さんになれるとわかったから」
とのこと・・・・

喜んで良いのでしょうか?悲しむべきでしょうか?
一瞬考えて、素直に喜ぶことにしました。
娘にとっては私はリラックスしていて楽しそうに見えるのだと。
ポジティブシンカーなのでそれは一番良い事のように思えました。

色々失敗するので子供にも謝ることがしばしば。
子供に謝るのは少し勇気がいることだと思います。

以前の私なら子供がわからない事があったら、すぐに答えられるように
色々な情報をキャッチしていこうと思っていました。
今はわからない時はすぐに一緒にスマホやタブレットで検索して調べます。

子供が小学生になり、子供の方が新しい情報を持っていたり
私に教えてくれることもたくさんあります。
そんな時は新しい情報を否定せず素直に受け止めるようにしています。

子供が「楽しそうなお母さん」と見えるよう
自分に甘く楽しく生活できたらと思います。

お友達づくりが苦手な子がお友達をつくるには

5月も終わりに近づき学校では徐々に「よく遊ぶ子」ができてきて
そのことによる友達同士のトラブルや不満も出始めてくるのではないでしょうか?

お友達作りのうまい子は努力しなくても自然とお友達ができているものです。

でもそういった事が苦手な子もいます。
私だってそうでした。

友だちが既に遊んでいたら「いれて」とはなかなか言えませんでした。
どんくさい所があって、気が付くと教室にみんないない…
何てことがよくありました。
通知表に「お友達が少ない」と記入された経験もあるほどです。

娘は私ほどぼーっとしたタイプではなく
気を使いすぎてしまうタイプ。
ワッと勢いにまかせて輪に入ることが苦手です。

毎年クラス替えのたびに娘はお友達作りに苦労してきました。
でも徐々に工夫して気の合う子を見つけられるようになってきました。


 

子供に友達がいないのではないか、仲間に入れてもらっていないと
聞いたとき

【親が心がけた事
・お友達(お友達の親)を責めない、悪く言わない
→とにかく心がけたのはこの事です。
やっぱり親は自分の子供の味方。
話を聞いていると周りの子に腹が立つこともあります。
「〇〇ちゃん意地悪な言い方するね」
「そんな子ともう遊ばなくていいよ」
「〇〇ちゃんは悪い子だね」
こういった言葉は(思っても)とにかく封印しました。
娘をなだめようとついつい出そうになる言葉たち。
でも、こういった言葉は瞬間的には子供をを癒したとしても
そののちは毒にしかならない影響力のとても強い言葉です。
再びお友達になれる芽を摘むような事はしないように
娘の気持ちには寄り添うけど、感情的になって「親がお友達を批判しない」
ように夫婦ともに気を付けました。

ただ傷ついた娘の話をよく聞き寄り添うようにしました。

「そんなことがあって傷ついたんだね」
「それを言われて腹が立ったんだね」
と娘の気持ちをくみ上げてあげるようにしていました。

・無理にお友達をつくらなくても大丈夫だよ
私は子供の頃親に「お友達できた?」「早く仲のいい子を作りなさい」と
言われるのがとてもストレスでした。
なので
「無理にお友達を作らなくても大丈夫だけど、自分がお友達が
欲しいなら少しだけ工夫しよう」
と言っています。
現に娘はお友達と遊ぶのも好きですが、本を読んだり
1人で過ごすのも同じように好きなようです。
それで良いと思っています。

 

【娘が自分で心がけた事】 
・とにかく「おはよう」「また明日ね」をクラスの子に挨拶する
解決に至った娘の行動の変化はこの挨拶大作戦です。
人を見すぎる娘は女の子グループを自分から抜けてから
新しい友達が作れずにいました。
「相手の子の好きな話がわからないから、何を話しかけたらいいかわからない」
「何か遊びに誘っても、その子の好きなものじゃなかったら悪いから」
とずっと言っていたのです。・・・気にしすぎなのですが・・・

でもある時
「何を話したらいいかはわからないけど、挨拶だけなら全員同じ」
と思いついたようで
とにかく話したことがない子にも男女問わず
「おはよう」と「また明日ね」と声をかけまくるようにしたようです。

最初のうちは挨拶を返されて終わりだったのですが
しだいに「おはよう」の後に何か話してくれる子が増えてきたそうです。
これがきっかけで話せるお友達が増えてきてから
学校にいる時の不安感はしだいに減っていきました。

自分から遊びに誘うことが苦手な娘が自分で考えた挨拶作戦。
とても良い前向きな、娘にもできる作戦だったので
この作戦に関して毎日毎日褒めました。

次第に顔色もよくなり、泣くことも減ってきました。
うまくいかなかった女の子のグループともたまに遊んでいるようです。
こちらも親としてはホッとしています。

すごくシンプルだけど、大人にも使えそうな「挨拶大作戦」
人付き合いの苦手な私も娘を見習ってみようかなと思います。

 

親の虫嫌い・子どもの虫嫌い、どう対応する?

23731_0私の住む地域の子供たち、
小学生の子供たちが虫捕り網を持って
楽しそうにしている姿をよく見かけます。

自分は虫は嫌いだけど、
子どもの虫嫌いには困っているママパパは意外と多いようです。

私の子どもたちは虫が好きです。
たまにビックリするような知らない虫も捕まえてきます。
そんなときに私は
内心冷や汗ですが・・・
毒のある虫以外なら
廃材の上などに乗せてまずは観察してもらいます。
触覚は?足の数は?口はどうなってる・・・?

自分の方に飛んでこないか、
逆に目が離せません。

そう、私は虫が嫌いです!
全部というわけではなく、
触覚がとても長い種類の虫(カミキリムシやバッタ系)と
カマキリが苦手です。

子どもたちに、
「ママにわざと付けたりしないでね」とお願いしていますが
率先して
「怖い」「気持ち悪い」と騒がないように心がけています。
(申訳ないのですが、ゴキブリさんだけは別です。騒ぎます)

以前、子どもたちに虫が大嫌いな時期がありました。
ちょっとした事件がきっかけです。
あるとき、どこから飛んできたのか巨大なスイッチョン(ウマオイ)が
私の顔面に飛んできてとまり
あまりの恐怖に大騒ぎしました。

その後しばらく子どもたちも虫を怖がって
公園などでびくびくしたり、泣くこともありました。

顔面に巨大なウマオイが飛んできて、発狂せずにはいられなかったのですが
周囲が怖がると子どもも怖がるのは
本当なんだなと思いました。

以来、なるべく私が大声で騒がないように心がけています。

面白いもので、
一瞬は怖かったり驚いたりするのですが
逆によく見てみると愛着がわいてきたり、興味深い姿をしていたりします。

嫌いなものを克服するには
あえて近づく

これは苦手克服の鉄則ですね。

怖がっているので、見せないようにしたり
あえて虫が出ない場所ばかり選んで遊んでいると
虫嫌いは深刻化すると思います。

子どもの頃は平気で虫を触っていたのに
今は触れない大人は多いと思いますが、
やはり触る機会が減っているからだと思います。
また害虫に対しての知識も増えて虫全体のマイナスイメージが
定着してしまうのでしょう。

無理やり近づけたり、持たせたりすると逆にトラウマになってしまう
可能性もありますので
見るだけでもいいので
「見てごらん」
「何してるのかな?」と
まずは図鑑からでも良いと思います。

我が家大人気の虫の図鑑はこちらです。
きらめく甲虫
8960この図鑑を見ていると
宝石のように見えたり、
虫そのものの多様な姿に自然への敬意を感じざるえません。
虫って、生き物ってなんて面白いんだろうと思います。

私自身、この本を繰り返し読んで
カメムシのたぐいも平気になっていった経緯があります。
(触りたいとは思いません)

もし、自分は虫嫌いだけど
子どもの虫嫌いは困ると感じているママパパがいたら
まずは虫の図鑑を借りて一緒に読んでみる、
その中で興味を持ったものを探したり
飼ったりしてステップを踏んでいくとよいと思います。

ただし、どうしてもどうしても苦手な子もいます。
そのような場合も「だらしない」「怖がり」など人格を否定せず、
気長に見守ってあげてくださいね。

また世の中には毒のある虫も多いので
それは覚てておきたいですね。
こちらの記事も参考にしてみてください。

夏に気を付けたい虫、夏の虫対策

意外と知らないコガネムシ・カナブン・ハナムグリの違い

 

ゲーム機をいつから与える?いまだ答えが出ないまま

先日息子とともにお友達の家に遊びに行った日の事です。
その日は息子以外に3人の男の子がいました。
家についてつかの間、
他の3人の男の子たちは自分のバッグから自分のゲーム機を
取り出して通信対戦を始めてしまいました。

その光景に私は驚きました。
まだ小学校に入学する前の話です。

他のお友達が個人のゲーム機を持っていることに興奮する息子でしたが、
全員が小さい「自分の画面」でプレイするので
息子は会話に入いる事ができません。

みな優しい子たちなので
少しすると息子にゲーム機を貸してくれました。
でもプレイしたことがない息子はうまく進める事ができません。
すると今まで聞いたこともないような口調で
「貸せ!」「へたくそ!」「見てろ!」と取り上げられ
その後2時間近く
息子は他の子の後ろからゲームを見ているという状況が続きました。
それでも息子は興奮しとても楽しそうでした。

それからです。
事あるたびに「ゲーム機が欲しい」とせがまれるようになりました。
当たり前です。
欲しいに決まっています。

それから夫と何度も話し合っていますが
「まだ早い」とは思いつつ、いつになったらなどは決められていません。


また先日SNSにこんな投稿がありました。
まだ若い方の投稿です。
その方は子どもの頃親に頑なにゲームや漫画、携帯電話を許されなかったため、
友達の輪や会話に入ることができず長い間ずっと寂しい思いをしてきたこと、
その経験が今の自分にも影を落としている事、
今の子供たちにとって需要なコミュニケーションのツールであることが
訴えられていました。
この投稿は何万もRTされていたところをみると、共感する人の多さ
悩んで迷っている親の多さがわかります。

「ゲーム機がないなら遊べないならそもそも友達とは言えないのでは?」という
親側の意見に対して
「今多くのコミュニティーでそれが必要とされているので、
 持っていないと常にだれかに借りる、後ろから眺めるという惨めな状況になる。
 その時点で貸す側と借りる側で優劣がついてしまう」という切実な子供側の意見
また「親はゲームで遊ばない子と遊びなさいと言ってきたけど、今は外で遊んでも
帰ってきたらゲームをするのが普通で「外で遊ぶ子」「家で遊ぶ子」と分けられない」

などがありました。

確かに息子が遊んだその男の子たちはみなスポーツ万能でスポーツクラブにも
入っています。
挨拶もきちんとできる良い子たちです。
共通しているのが上にお兄ちゃんがいることですが
全員が年長さんの時点で個人ゲーム機を持っていたそうです。


実は私もゲームが大好きで学生時代何時間もプレイしてきました。
今はなかなか時間がありませんが、ゲームの世界の楽しさはよくわかっています。
ただ、世代的に個人のゲーム機は早くても小学校高学年で触れるのが一般的でした。
「一日一時間」とよく言われていました。
スポーツもやっていましたし、成績も良かった方なので
ゲームは日常のひとつにすぎませんでしたが親の間ではよく
議論になっていました。
今はそれがどんどん低年齢化して幼稚園生から持っていてもおかしくないのもわかります。

今息子は友達の家でゲームをした日は興奮して帰ってきます。

とても楽しいようです。
心の中でどんどん自分もほしいという気持ちが高まっていくのを感じます。

早々に私たちもどういったルールを持って子どもと接するか
決めなくてはいけないなと思います。

 

「酔っぱらったパパが嫌い」子どもに言われてとった手段とは?

4e243f872c209786a3c8e8ad4ecbb8b9_s「普段は優しいパパなのに、お酒を飲むとなんだか怖い」
「酔っぱらったパパが嫌い」
子どもにそう言われて
ある程度のことは多めに見ていた私も
きちんと伝えなくてはならない日がやってきました。
でも夫は機嫌を悪くして・・・・


今日のママコラムは酔った夫について。
最近はお酒を飲まない方も多いようですが
皆さんのお家ではどうでしょうか?

ストレスのある役職についてからなのか、
年齢によって酔いやすくなったのか
以前はただ楽しいだけだった夫のお酒でしたが
最近少し様子が変わってきました。
たった月1回程度の同級生との飲み会。
気の知れた仲間たちとの楽しい時間。
私は快く送り出していました。
夫の飲み会が許せなかったあの日・・でも今は?

でもここ数か月の酔い方はあまりいいものではありませんでした。
酔うと子どもを泣かすんです。
泣かし方はどれも幼稚なものですが
(驚かしたり、ちょっとしたイタズラやキスや羽ハグをしつこく迫る)
夜中に帰ってくるとみんなを起こしたり、
なんとなく絡み酒をするようになりました。
(ちなみに筆者の父もこのタイプで、普段は寡黙で真面目なのですが
酔うとしつこく絡んできて、子どもの頃は酔った父が嫌いでした。)

でも、そこで細かく指摘しても
酔った相手には無意味と考えて
目をつぶってきましたが
ある時、子どもたちと話していると
「普段は優しいパパなのに、お酒を飲むとなんだか怖い」
と打ち明けてくれました。
きっと子どもにとっては、普段と様子の違う夫は
怖いのでしょう。
このままではお互いのために良くないと思い、夫が酔っていないときに
この事を話してみることにしました。

ムッとする夫

反応はムッとして黙ってしまいました。

「たまの休み位、飲んで楽しくするのはいけないことなのか?」
「それはいけなくないよ、楽しんできてほしいよ。
でもその話とこの問題は違うでしょ」

夫はお酒を飲まない時は、申し分ない人です。
子どもをからかって泣かすことなどもちろんありません。
家族のために尽力してくれているのも十分わかっていて感謝しています。
でも、怖がっている事を、子どもが伝えてくれたのに
そのままにしておくわけにはいきません。

加えて
「俺はいつもそこまで酔っていない」
「酔っても羽目をはずさない」
と自信があるようです。
夫は昔からお酒に強かったのです。
でもその時と今は少し違っています。

この話し合いは失敗に終わり、お互いにわだかまりが残る形になってしまいました。

とある強硬手段をとることに・・・

そうこうしているうちに
次の飲み会の予定が入り、私も夫もなんとなくモヤモヤしていました。
楽しく飲むのは構わないので、子どもたちを
怖がらせないでほしいのです。

そして私はとある作戦を思いつきました。
そう、動画で撮影するのです。

夫は自分がどういう風に酔って絡んでいるのか
気が付いていないのです。
子どもたちは再び犠牲になってしまうのですが
酔って寝ている子どもを起こしたり、しつこく迫って泣かせている姿を
スマホで撮影することにしました。

爆笑、のち反省

酔った姿を短い動画に収め、
後日機嫌がいいときにその動画を見せてみました。
怖がっていた子どもたちも、
動画の中の夫には大笑い。
夫自身も「えーー?!えーーー?!」と言いながら
自分の姿に爆笑していました。

そして
「確かに、これは鬱陶しいな!」
「思ったよりもひどい!」と自ら認めてくれました。

加えて
「酔うと楽しくなって、みんなが寝てるのが寂しくなっちゃう」
「子どもたちが可愛すぎて舐めたくなっちゃう」など
いろいろフォローをしていましたが・・・

口で同じことを伝えたときは怒っていた夫も
素直に納得してくれました。
以後、少し改善された気がします。

客観的に酔った自分を知るのはなかなか難しく
本人はさほど酔っていないと思っているのはよくあるパターン。
酔い方に困ったら試してみてはいかがでしょうか?

 

 

 


 

上の子を甘えさせるには?

良く性格占いのたぐいでは
「長子は甘えるのがヘタ」なんて言われることが多いとおもいます。
「お姉ちゃんだから」「お兄ちゃんだから」と我慢させられたり
そういった直接的な事を言われなくても
面倒見がよくしっかりしている子が多いために
なかなか自分から甘えられないなどという・・・

では家の子供たちを見てみると
お姉ちゃんも、弟も両方甘えん坊です。
でも性質がちょっと違います。

素直に甘えたい!抱っこしてほしい!と表現する
下の子と、なかなか口では言えない娘。
でも二人ともまだ素直なので
「こっちにおいで」とか「たくさん撫でてあげよう!」と誘えば
ニコニコとした顔で寄ってきます。

やはり息子の方が積極的に甘えてくる分
口でなかなか言えない娘はやはり「甘えるのが苦手」なのかも
しれません。

「今日はゆっくり話せるね」

家の子供たちはまだ親と一緒に寝ています。
それで一日交替で私と一緒に寝る事になっています。

みんなで布団に入りながら色々話すのですが
話してる間に息子が寝落ちしてしまう事があります。

そんな時は
「今日はふたりでゆ~っくりお話できるね」
「たくさん話せるね」

と言います。

他愛もない話がほとんどで、5分もしない間に娘も寝てしまうのですが
翌朝は
「昨日はたくさんお話できたね」と言ってくれます。

「普段話せなくてごめんね」
「甘えさせてあげられないよね」

などとマイナスの暗示をかけるのではなく
「私も娘ちゃんと話す時間が大切なんだよ」と言う気持ちを
ポジティブな言葉で伝えています。

「いつもごめんね」
「我慢してるよね」
よりも
「今日は好きなだけ話そう」だったり
「今ならいくらでも抱っこできるよ」
という言葉がけをするようにしています。

 

自分が得意な分野を子供が苦手だとイライラしませんか?

先日自分の中のある感情に気が付いて驚きました。
子供たちも大きくなって入学して、
子育てに対する爆発的なイライラはだいぶ軽減されたものの
今度は物事の得意不得意、容量の良さ悪さなどが
気になるようになってきました。
気になる・・と言うよりも自分でどう接していいか迷っている所です。

例えば私と夫は子供に対して熱を入れがちな部分が異なります。
私は勉強の方、夫は運動に力を入れがちです。

運動神経が良い夫は、子供たちが跳び箱や縄跳びなどで
もたついていると最初は楽し気に教えてくれるのですが、
途中から次第に「なんでできないの?」となっていきます。

私は運動が苦手な子供だったので、子供たちの運動神経を見ていたら
ただただ「すごーい」と驚き喜ぶばかりです。
なので子供たちは自然と運動系の練習は私と一緒にすることが多くなってきました。

対して私がついついうるさくしがちなのが
字の丁寧さや宿題やテスト等、いろいろ言いたくなる気持ちが
どんどんと湧いてきて自分でも困惑しています。
決して教育ママになりたいわけでもありません。

「なんでできないのか理解できない」
「なんで丁寧に書けないのか理解できない」

ここが一番の私の根底に流れる気持ちです。
勉強がスキだったわけではありませんが、中学校までの勉強でつまずいたことが
ありません。
なので小学校低学年の内容で「うーん」「うーん」とうなったり
やりたくないとグズグズしている気持ちがなかなか理解できません。

これは運動神経が良い夫が「なんでできないの?」と言ってしまうのと
根本が一緒です。

そんな言葉を投げかけてもなんの解決にもならない事も
容易に想像できます。
ですから、自分との折り合いに困惑しているのです。


先日こんな本が目に留まりました。
日本アンガーマネージメント協会理事の戸田久実著
「つい怒ってしまう」がなくなる子育てのアンガーマネジメント
です。

「怒りは私たちにとって自然な感情」と前置きして
「怒りは身近にいる人物に一番強くでる」
「怒りが制御できない時に爆発し、後から後悔するのを減らしていく、なくしていく」のを目的とした一冊です。

ここに書かれているのは
「こどもは〇〇すべき」
「親は〇〇すべき」という決めつけが怒りを引き起こしやすいというものでした。

まずは自分の中に隠れている
〇〇すべきを洗い出して書き出して
本当に譲れないものはなんなのか、確認してみようとありました。

確かに私は
「字は綺麗にすべき(将来の信用にもつながるから)」と思っているのは
間違いありませんでした。
でも「跳び箱は飛べるべき」などと微塵も思っていないので
子供たちに対してイライラせず、長時間付き合ってあげられるのかもしれません。

その他アンガーマネジメントの具体的な方法が書かれていて
非常に興味深かったので
まずは自分の心から見直していきたいと思っています。

泥団子を褒めるか、作った子どもを褒めるか【子供の褒め方】

公園で子供が泥団子を持ってきたときに、あなたはどう褒めますか?

A 泥だんごを作ったあなたはスゴイ(人格を褒める)
B すごい泥だんごを作ったね(成果を褒める)

先日読んだ本にこんな問いがありました。

日本赤ちゃん学会理事長・同志社大学赤ちゃん学研究センター長 小西行郎教授の
「はじまりは赤ちゃんから」という本です。
「子どもの脳によくないこと、赤ちゃん学、脳科学を生かす子育て」には
もっと詳しくこの内容に触れていました。

子どもの脳によくないこと: 赤ちゃん学、脳科学を生かす子育て

私は迷わずにAと心の中で答えました。
子供を褒める時、基本的には成果ではなく人格を褒めるようにしていたからです。

保育園や幼稚園の先生の多くもA。と答えるそうです。

私が人格を褒めるように心がけていた理由は
ざっくり言うと、成果が出なくてもチャレンジしたことを褒められるからです。

本の中の小西教授の答えは
B。
成果を褒めてほしいと。

たくさんの経験や研究をされてきた先生は
「この泥団子はすごいね!」と褒めた方が子どもは喜ぶ
と書いていました。

そしてそこには大切な続きが・・・

「この泥団子すごいね」
「どうやって作ったの?」
この、どうやって作ったかを加えることで、豊かなコミュニケーションが
生まれ本当の意味での満足感が得られると。

じゃあ気になるのは失敗してしまった時。
「がんばって作ってたね、何が失敗だったんだろうね?」と
聞いてあげ、
一緒に作ってあげたり、どちらがうまくできるか競ったり
体験を一緒にすることが大切だと。

この内容はまさに目から鱗でした。
褒める事が大切ではなくて「理解して」「体験」することが大切。

確かにそうなのかも・・・?
と自分の過去を振り返りました。

私は幼少期、特に褒められて育ちませんでした。
どちらかというと怒られて育ったと思います。
でも「親が私を理解してくれている」「認めてくれている」
という感覚は大人になってからもずっと残っていて
自分の人生の基礎を築いているとおもいます。

「親が私を認めてくれている」という感覚は
褒めらてたから根付いたわけではなく振り返れば
「選択を否定されない」「話を聞いてくれる」の積み重ねだったように思います。

不器用で、失敗や迷惑をかけることが多い子ども時代でした。
でも「Aをやってみたい」と思った時に
「Bにしておきなさい」と先回りされた経験はあまりなく
(ルール外の事は別です)
Aをして失敗し、怒られる経験はたくさん残っています。

子供の時は
「なんで先に教えてくれなかったの?」と不貞腐れることもありましたが
「親が私を理解してくれていない」と拗ねることはありませんでした。

私は自分が子供の頃「もっと褒めてもらいたかった」と思った経験から
なるべく褒めて育てようと思っていますが
褒めることは意外と難しい事なのかもしれません。

褒めるにはよく子どもを見て、どこをがんばっているのか工夫しているのか
よく知っておかないと
ちゃんと褒められないという事だと思います。

泥団子の話で言えば
泥団子を作っている最中は無関心で
完成した泥団子だけすごく褒めても
確かにあまりうれしくないのかもしれません。
これは大人も同じですね…。

私自身褒めることが習慣化してしまっているなぁとハッとさせられたし
きっと子供たちも褒められることが習慣化してしまっているのでは
ないかと思います。

この本を読んだことで、
自分の褒めるをもう少し見直していきたいと思いました。